毒舌のコラム

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              三角関係の法則

               恋愛物には必ずと言っていいほどに、三角関係がありますよね?
       今日はそれを、小説における技巧として、研究してみたいと思います。
       
        そもそも三角関係とはなんぞか?はい。ここからですね。
       基本的三角関係とは、男女間の恋愛関係において、
       「あちらを立てればこちらが立たず」的な、こう着状態にあることでしょう。
       して、その効果ですが…
       
       ・友情・愛情等、人間関係のもつれにより、内容が深くなる。
       ・ストーリーの展開が予想しづらくなり、読者を飽きさせない。
       ・てっとり早く字数が稼げ、かつストーリーにメリハリがつく。
  
       どんな純文学を書きたくても、内容が面白く、
       かつある程度の長さを持たせる事は、小説家として必要になわけです。
       原稿料は、原稿用紙の枚数に比例する方式ですしね。
       それに夏目漱石さんがやったように、エゴなんかも描きやすいです。
       そしてなんといっても、恋愛ものは、障害ある恋でなくては成り立ちません。
       最初からハッピーは恋愛ものって…。そりゃないでしょう。
       三角関係は簡単に恋の障害たりえるわけです。
       次にデメリットとしては…

       ・三角関係と聞いただけで、下世話な話として、拒否反応を起こす読者がいる。
       ・実際に下世話な話へと陥りやすい。
       ・余った人物の去就を考える必要がある。

       バランス次第ということです。少しでもミスがあるとつまらない話になります。
       ここで鍵となるのはおそらく…
   
       ・好きの理由が、しっかりと納得できるものであるか?
       ・三者間の葛藤をどのくらい描けるか?    
   
       だと思われます。
       ただ、一番留意すねきは、「読者がどう感じるか?」としか言えませんね…
       
       そして、余った人物をどうするかです。
       
       ・もう1人登場人物を用意して、その人と恋に落ちる
       ・仲良し三人組は崩れないんだよ。

       …等々の雰囲気をラストで残すか、
       てっとりばやく殺すなりですね。
       ほっとくのはダメでしょう。
       王道としては、
       
       ・主人公の恋が実る形で話を進め、余った人物は他の人物と恋に落ちる。
       ・主人公がライバルに破れ、破滅 or 成長する。
       ・主人公が自分に好意を寄せる二人の人物に対して、
        どっち付かずのまま話がすすみ、その片方がいなくなる…もしくは死ぬ。
       
       とにかく考えるところは、読者が納得できるかです。
       不幸な結末にするならするで、中途半端はあかんです。

       
        次に男女の割合ですが、これは「男2:女1」がやはり無難です。
       熱い友情の葛藤を描くなり、心の暗部をえぐるようなエゴを描くにしても、
       大様にして視野の狭い、男性の方が描きやすいからです。
       女性は男性よりも頭がいいですし、さらっとしてますからね。
       男のように極端なことはせずに、友情と愛情の中間を行きます。
       そして狡猾に、虎視眈々と獲物を狙います(笑)
       生物学的に言っても、メスを巡ってオスが争うのが自然ですしね。
       あと、バカな行動でコメディを生み出すのも、男の愚行が基本でしょう。
       
        さて、次に実践を考えてみます。
       まず、三角関係と一口に言っても、実際には様々な形があります。
       だいたい大まかに分けますと…
   
       @A→B→C
       AB→A←C                 
                              と成りますが、       
       まだまだ甘い認識となりますね。もっと詳しく考えないと…
      
      (なお、→…愛情 ※…固い友情(愛情込みの場合も)=…相思相愛 ⇔…敵意)
       
       @‐a A→B→C
           …オーソドックスな形。
           (つまり、好きな人が、自分でない人を好きである様子。
                        三角関係と分類していいのか微妙…)
       
       @‐b  A※B→C
           …AがBの恋を、本心を隠して応援している。
           (AとBが幼馴染で、Cが高嶺の花という風に使用される。
            例:ジョン・ヒューズはこの手法の名手)

       @‐c A=B→C
           …満足のいく伴侶を持ちながら、浮気心に負けている様子。
           (本当は愛し合っているのに、認めたくない関係というのもある。
            BはAを失いそうになって、初めてAの大切さに気付く
            例:『フォレスト・ガンプ』)

       @‐d A→B=C    
           …BとCはもうラブラブだが、Aが猛烈にBにアタックしている。
           (大様にして、Bは優しすぎるため、Aに気を使っているか、
            Cになにか複雑な事情がある。 例:『めぞん一刻』)

       @‐e A→B→C※A
           …とにかくCが苦悩している様子。同性愛の場合も…
           (AとCの、友情と嫉妬のもつれですね。 例:『冒険者たち』)

       A‐a B→A←C
           …BとCが一切の関係を持たないというこのパターンは、
            あまり観られない。
           
       A‐b B→A←C⇔B
           …A争奪戦の様子。CとBは、互いに争うのみ。
           (ラブコメとはすなわちこの形である。 例:『メリーに首ったけ』)
     
       A‐c B→A←C※B
           …CとBが、友情と愛情の間で困惑する様子。
           (物語の進行と共に、C・B間の仲は崩れていくことが多い。 
            例:『こころ』)

       A‐d B=A=C
           …すなわち、はがゆい様子。
           (意外と多い形。Aの態度が定まらないまま、
            ストーリーはBに寄り、Cに寄り…)
 
       A‐e F、D、B→A←C、E、G
           …Aを射殺したくなる様子。
           (世のオタクが望む形。「萌え」の世界に利用される。
                        また、メインヒロインは決まっているけど、ほかにもたくさんの
            サブヒロインがいる、という形もある。 例:『らんま 2分の1』)

        さて、まだまだ特殊な形はあるでしょうが、とりあえずこんなところでしょう。
       だいだいは、@‐b d  A‐b e はラブコメで使用され、
       @‐a e A‐cが文学的な作品で用いられます。
       つまり、面白いエピソードを生み出しやすい形と、
       人のエゴだとか、葛藤だとかを生み出しやすい形かですね。
       @‐e A‐cなどは聖三角関係などとも呼ばれ、
       最も美しく、かつ友情が壊れていくさまが切なくて、
       技法としては重宝されているようです。
       
        ただ、僕が注目するのはA‐dです。
       なぜかと言いますと、このパターンの場合、
       「男性1人:女性2人」という形にしやすい、
       いや、むしろしたほうが面白いということです。
       これはどういうことかといいますと、Aが憎むきプレイボーイでないとしたら、
       BとCが、全く世界観が違う女性であることが、求められるからです。
       つまり、どっちつかずということは、どちらの女性に対しても訳ありで、
       選びがたい状況であるはずだからです。
       
       FFZにおける、負い目のある幼馴染のティファと、
       星を救う使命を帯びた、守るべき存在であるエアリス…という2人の女性。
       ノルウェイの森における、自殺した親友ヒビキという存在に縛られた直子と、
       独特な個性を持ち、相性抜群の緑…という2人の女性。
      (最も典型的なのは、ラクスとフレイなのですが…)
       
       このように、真逆の立場にいる2人の女性が描けるということです。
       主人公と同じサイドに立っており、深く理解しあった女性…という立場と、
       なにかの因習や、訳によって結び付けられた女性…という立場。
       なんか良くないですか?
       真逆の立場が存在すれば、物語は否応でも深くなります。
       両方の立場がドンドンぶつかって、テーマが深く考察されるからです。
       このとき、なぜ女性なのかと言いますと、何度も言いますが、
       やはり女性の方が多様だからです。
       男なんて…ね(笑)

       ただ、2人の女性の接触は少なめに。
       これも繰り返しですが、女性は狡猾ですから(笑)怖いです…

        最後におまけですが、余った人間の去就は、やっぱり死に限るでしょう。
       なぜなら、それ1つで残された二人の恋に、運命性が生まれるからです。
       それに、余った人用にもう1人登場させると、都合のいい感じがして、
       下世話な雰囲気となってしまう恐れがあります。
       3人の関係は崩れない的なお話は、なおさらです。
       結論を述べますと、三角関係の法則とは、
       3人のうちの誰かが、かわいそうにも死んでしまうという法則なのです(笑)

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              どの新人賞がいい?

               まず結論から言ってしまいましょう。
       圧倒的に『小説すばる新人賞』です。
       それでは、ご説明いたします。

        というより、まずは新人賞の重要さから言わないと
       訳わからんですねぇ。まったくもって。
       小説家を志すうえで、新人賞をとることは、非常に重要なことです。
       本屋を見れば分かるように、世の中に作家は溢れかえっていますし、
       僕のように、ネット等を使って自分の作品を公表しているアマチュアも、
       数多くいるわけです。
       つまり、今の日本は読む人間に対して、作品がありすぎ。
       こんな状況の中、無名の人間が業界に殴りこんでいくには、
       最初の印象がとにかく大事です。
       
       もちろん、大作家の素質があるなら、別に心配はいりません。
       むしろ、デビュー当時は、
       あまり話題にならなかった人のほうが、多いくらいです。
       才能ある人は、ろくでもない新人賞だったり、
       最低の場合なにもとらずにデビューしても、
       いずれ頭角をあらわします。
       しかし、自分にそこまでの才能があるのか?
       まぁ、そういうことです。

        しかし、ただ有名な新人賞を狙えばいいというわけでもないんです。
       ざっと挙げてみますと…

       文學界新人賞・オール読物新人賞・(芥川賞)‐‐文藝春秋
       
       新潮新人賞・新潮エンターテインメント新人賞‐‐新潮社

       群像新人文学賞・小説現代新人賞      ‐‐講談社

       野生時代青春文学大賞           ‐‐角川書店

       すばる文学賞・小説すばる新人賞      ‐‐集英社

       文藝賞                  ‐‐河出書房新社

       賞が2つある出版社は、左が純文学。右が大衆文学です。
       1つのところは、微妙ですが、大衆ですかねぇ…

       ここでまず、純文学の賞と、大衆文学の賞について説明しましょう。
       純文学と、大衆文学:つまりエンターテイメントと言うと、
       全く違うようにも思えます。
       ですが、実際はそう大した差はないのです。
       ただ、純文学の賞では表現を、
       大衆の賞では、内容の面白さを重視するというだけです。
       要するに、ストーリーの根底を流れるテーマというか、
       骨はしっかりしたものでないと、いけないのです。
       ただの恋愛ものでは通用せんのです。どちらにせよ。

       ただ、その根底のテーマの程度や方向性は、出版社によって変わります。
       講談社はかなり難しいものを要求しますし、
       角川は時代を開く前衛的なものを好みます。
       文藝賞は反して、本当に大衆受けする、
       少々軽いものや、日常生活にあわせたものを欲しがります。

        では、具体的な話に参りましょう。
       まず、一番ベストな賞。
       それは、文學界新人賞です。
       上記の新人賞のなかでも、
       文學界新人賞は、公募賞で最も権威があり、プライドも高い新人賞です。
       まさに純文学といった作品、
       かなりの難しい作品でなければ受賞は不可能です。
       さらになんと言っても、この賞を受賞することが、
       そのまま、芥川賞受賞につながりやすいということがあります。
       同じ会社ですもんね。はい。

       ただ、ここに落とし穴。
       花々しく芥川賞を取った作家が、そのまま消えていってしまいやすいことを、
       あなたも多分、感じているでしょう。
       そうなんです。
       文學界新人賞と、芥川賞、ともに生存率は30%ほどしかありません。
       あ、生存率というのは、僕が個人的に調べたものです。
       賞を受賞したのち、4冊本を出せれば生き残りと判定です。
       ……めちゃくちゃ大変でした。

       なぜこんなことが起こるのか?
       その秘密は出版社にあります。
       文藝春秋。出版社の最大手であります。
       つまりは、既に大ベテランで、バリバリ稼いでくれる、
       お抱え作家が大勢おり、新人が必要ないという状況です。
       わざわざリスクを抱えてまで、新人を育成しようとする
       必要なんてないわけです。
       ブームなどになると、一時利益が挙がりますので、
       一応賞を毎回与えてますが、
       受賞した新人作家は、実質的に使い捨てです。
       まぁカイロみたいなもんですね。

       同じことは、新潮社と講談社にも言えます。
       そして特に、講談社は問題ありです。
       なぜなら、講談社は古参の出版社であり、
       経営体制もいまだにローテクです。
       編集部の人は、頑固で融通が利かないとの噂でもちきりです。
       他の会社で本を出すことも、大いに嫌がります。
       なんせ戦争中に、軍人さんに本を提供するために
       生まれた会社ですから。忠節ですね。

           そう、そして残りの3社です。
       これら集英社・河出書房・角川は、
       本屋に行けばかならずコーナーが設けられていますし、
       規模としても全国区です。
       ですが、ひいきにしてくれる大作家は少ない。
       だから、必然的に優秀な新人を求めているということです。

       会社としてもその気風はあり、
       大手3社がおろそかにしている、新人の『育成』にも熱心です。        
       受賞後の教育・支援・話題作り等の面倒見のよさ等ですね。 

       ただ、この3社の中でも、集英社を僕がお勧めする訳は、
       後の2社は癖が強いということです。

       まず文藝社ですが、この会社は諸出版社のなかでも、
       最も儲けを第一に考える会社です。
       もちろん、儲けるためには新人の育成が必要ですから、
       サポート等はばっちりです。
       ですが、使い切られてしまう怖れがあります。
       例えば、野球のうまい子供が、高校野球までに酷使されすぎてしまって、
       プロで体を壊してしまうようなやつですね。
       だから、若いうちから作家を狙うのであれば、
       文藝者は少々危険です。
       いい小説を書くためには、青年期の人生経験が第一ですからね。
       執筆に追われて、若者らしい生活が出来なかったりしたら、
       長く書き続けることは、できなくなるでしょう。
       ただ、文藝賞の生存率は48%もあり、
       事実として、実績をあげている賞でもあります。

       次に角川です。
       角川の癖は、すなわちライトノベルです。
       角川は、もちろん一般の本を扱う会社なわけですが、
       主として扱っているのは、やはりライトノベルです。
       野生時代青春文学賞は、一般図書の文学賞とはいえ、
       やはり受賞作品における、ライトノベル的な色は強いです。
       (野生時代青春文学賞の前身である、角川学園文学賞等も
        参考にしております)
       ですから、そういうライトノベル作家を目指す人以外であるなら、
       少々ずれてしまいます。

       そして、集英社というわけです。
       しかもさらなる特典として、
       賞金が100万円という高額なのです。
       そして、受賞作品は必ず単行本化という保証付き!!
       いまが買いですよぉ、奥さん♪
       
       最後に、純文学か、大衆文学か…
       これはおまかせなんですが、
       やはり今は、大衆文学全盛の時代ですから、
       僕は『小説すばる新人賞』をおすすめしますね。
       なんと言っても、生存率52%は、伊達じゃありません。

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              本(創作物)の存在意義


 本…だけではありません。
ほかにも映画・アニメ・漫画・ゲーム…
この世の中には様々な仮想世界を表現する創作物がありますが、
その存在意義はあるのか?
「は、意味ねぇ〜し」
と言う、ぼんくらナルシストを放って置けない今日この頃なんですよ。
僕はあると思います。
というわけで、だらだらと語りますのでよろしく!!
まず手始め、これらは作品的メッセージ媒体なんです。
そして、そこに大きな存在意義があると思います。

作品的メッセージ媒体。まぁ勝手に作ったありそげな言葉ですが、その意味は…
「作り手のなんらかの主張を、大衆に伝える創作という方法」ということです。
さらに説明しますと…
例えばです。
「人生何が起こるか分からない。だから大切なことは、何事も精一杯やることなんだ」
といきなり言われましても、説得力もヘチマもない。
なんですが、映画『フォレスト・ガンプ』なんか見ちゃうと、
人はころっと感動しちゃうんですよ。
テーマ(主張)に酔ってですね。
つまりはそういうことです。

 人間不思議なものなんですね。
わかりやすく、かつ端的な言葉で表すと嘘っぽく感じてしまう。(愛は大切だ!)
それに対して、くどくどと引っ張りまわし、こねくりまわして
半分はわけの分からない様な形で表すと、納得してしまうんですね〜。
まぁこれは分かった気になっちゃうってのも大きな要因だとは思いますが、
疑似体験の優位性だと思いたいですね。言葉に対する。

要するに、作品における登場人物に自己投影することによって、
登場人物の人生その他もろもろのことを、仮想体験するということです。
これが果たして言葉だけの表現よりよいものなのか?
そうだと思っています。というより信じています。

まぁとはいえ、僕らの自我なり個性なんなりを作ってきたのは、
言葉だけの表現ではなく経験だというのは、明らかでしょう。
「人は孤独である」とか「すべては無常である」なんて言葉は、
僕らが生きてきた中で体験してきた人間関係、それに行動に対する結果等々から
得た観念であって、言葉から学んだものではないはずです。
もっとも、経験と言う非常にあやふやでふわふわした状態のものを、
ある程度固定化してくれる言葉の表現はもちろん重要ですけどね。
ですが、一番重要なのはそれに先立つ経験だと思うのです。

 しかし無論、空想の域を出てない…
いや、ここは逆説だと思います。
むしろ空想でしかできないような点で重要なのでしょう。
僕らの人生は短く、時間はとかく少ないです。
そんななか、たった数時間で一人生送れるなら安上がりかつ簡単というものです。
それに人生は選択の繰り返しですし、能力の問題もあるから、
どうしても出来ないことがある。
サラリーマン・コンビニの店長に対して、プロ野球選手やフィギュアスケーター、
ましてや人型汎用兵器のパイロットや、
星の存亡を賭けた闘いを繰り広げるなんていうことは、
空想でしか得られない体験です。
高校時代に恋人を白血病で亡くすなんてのも、なかなかになかですよ。

 で、果たしてそれらが本当に有益か?
もし仮想体験が、多少の劣化はあるとしても現実の体験と同じような効果があるとしても、
僕らの現実の人生に起こり得ないことを仮想体験して、どうなるというのか?
僕は意味あることだと思います。
なぜかと言いますと、いかな状況におきましても、
人が問われることは、そう多くはないからです。
大抵の場合では
自分は「何のために」、「何がしたくて」、「何が出来るのか」ということです。

さらにつきつめますと、最初の「」の「何」に入る言葉は、もう決定しています。
別に「最愛の人」でも「世界征服」でも「人類滅亡」でも変わりません。
結局全ては自分の願い…つまりは、自身の欲求(欲望)です。
まぁまとめちゃいますと、人生における問いとは、
「己の欲求に対していかな解決策を取るか?」ということではないでしょうか?
その答えは様々な応用パターンがありますも、その根は二つ。
それは「諦めない」と「諦める」でしょう。
僕的に言い換えますと「希望」と「絶望」、もしくは「諦観からどう動くか?」となります。

これらの概念こそ、作品的メッセージ媒体が
どれか、あるいはいくつか(あやしい表現ですが…)を提供しようと模索することであり、
僕らの人生に対する考え方を支配する、大きな柱でしょう。
状況は様々ですが、人が問われ、考えることの根が同じだとしたら、
現実にありえないことの仮想体験も、無駄な体験ではないでしょう。
己の欲求にどう対処するか?ということへの様々な
心構え・解決策を体験することによって、
僕たちの現実における判断においても、それを指針とすることができると思うからです。

 …なんかうまくいきませんね。
やっぱり演繹法は苦手です。帰納法でいきましょう。
ふむ。「あおぞら」や「一リットルの涙」が大ブレイクしましたが、
それらの作品を読んで、善良な僕らの心に何が残るか?
「こんなにつらい状況でも頑張っている人がいる。私も負けてられない」
はい。そういうことです。やっぱ帰納法は最高ですね。

 とにもかくにも、僕が創作物の存在意義と考えていることは、
その作品に自己投影することを通して、様々なことを疑似体験することができる。
ということです。
擬似とは言え立派な人生経験。
そして人生経験の多さは人の智恵。
智恵とはすなわち「諦観」である。
…と信じ、今日も創作物をなめまわし、
それを目指して執筆を続けるりょうスキーなのでした。
めでたしめでたし。

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